桐ヶ谷斎場 by渓流ファン様


管理人のコメント
 著名人のお悔みでマスコミにも頻繁に登場するあまりにも有名な火葬場ですね。
昔、ある写真雑誌に「力道山」の葬儀の記録として特別殯館(だと思う)や収骨シーン
が、若き日のアントニオ猪木氏の姿と共に掲載されていました。何とも表現出来ない
重厚な装飾の炉前が強烈に印象に残っています。

以下、渓流ファン様のレポート

*画像をクリックすると拡大画像が別ウィンドウで開きます。

町屋斎場と並ぶ東博の有名施設(?)「桐ヶ谷斎場」です。
江戸五三昧のひとつに挙げられた桐ヶ谷村霊巌寺の寺院内の施設を
起源とした火葬場です。
都内でもそしておそらくは全国でも屈指の由緒正しい施設でしょう。
昭和40年代の旧時代には2本の煙突と2ケ所の火葬棟(寺院風)を持ち、
火葬棟の玄関には紫色の幔幕が左右に分けて掲げられていました。
その後、「昭和49年空撮」のように特別殯館が入り口脇に新設され、
さらに老朽化した旧火葬棟や待合棟のRC化などを経て、
数年前に現代の姿へと全面更新されました。
主に東京23区の城南地区(港、品川、目黒、太田、世田谷、他に中央、
千代田等)を受け持つ屈指の大火葬場であり、
1日あたり火葬件数平均27件と聞かされた事もあります。
以前は炉数も15基ほどあったと思います。(現在は12基)
世田谷・目黒など高級住宅地をエリアとしている為か、
ここでは著名な方たちも数多く火葬に付されています。
吉田茂氏、三島由紀夫氏、ジャイアント馬場氏などなど。
残念ながら敷地にあまり余裕がなく、斎場機能も併設した現在、火葬炉を
増設するゆとりはありません。
臨海斎場が建設された理由のひとつは、ここ桐ヶ谷斎場の近隣への迷惑低減
(施設更新への反対運動が起きていました。)と、繁忙期には数日待たされる事も
珍しく無いという、この地域における異常な状況の緩和の為でした。

立ち寄ったのが薄暮の為、暗い写真が多いですがどうかご容赦ください。




火葬棟は入り口のすぐ脇にあるこの巨大な建物です。
建物前にはバス停が設けられています。
火葬棟の位置はかって特別殯館と特別最上等炉(註)があった場所です。
門に近い位置から、8基の最上等炉が並ぶ一般室、
壁で仕切られた隣室が2基の特等炉が並ぶ特別室、
さらに奥には2基の炉を持つ特別殯館が設けられています。

★炉の配置イメージ★
特別殯館(他の炉とは向きが90度異なる)
□□−−仕切り壁
  □ 特別室(2基並列)
  □
  −−仕切り壁
  □
  | 一般室(8基がズラリと並列)
  □ 

なお、建物正門側の地下には遺体保管室が設けられています。

斎場&待合棟は敷地の奥、左右一杯に伸びています。(前の写真参照)
地上2階、地下1階。
1階には大斎場、地下1階には4つの中小斎場とお清め室。
2階は控え室(待合室)などです。
他にホテル並みのロビー、売店、喫茶店などがあります。
実に至れり尽せりです。

註:現在の姿に改築される直前には、火葬棟は等級別に3つありました。
門に近い側から特別殯館(2基)、煙突を挟んで特別室(特別最上等炉2基)、
敷地の一番奥に一般室(中・上・最上等、合計10〜12基。年代で若干の推移が
あった模様)がありました。
それぞれ渡り廊下などで繋がれていましたが、ほぼ別棟の構造だったと記憶しています。
手前の煙突が特別殯館と特別室用で、奥の敷地角隅付近の煙突が一般室用だったと思います。
特別殯館の炉前室の真上2階部分が専用待合室でした。
そして炉室(火葬炉)の真上はスタンドバー式の売店だったと記憶しています。




正門入り口付近、道路の有り様です。
門前の道路両側に立ち並んでいる商店の姿は、
最初にここを訪れた当時とあまり変わりありません。
(投稿画像編の『桐ヶ谷昭和49年空撮』をご参照ください。)
冬の雨の夕暮れの事でした。
生まれて初めての火葬場体験は、焼き上がったお骨の純白さと
「不思議なところ」という印象だけが残っています。




火葬棟の裏手の様子です。
火葬炉がおさめられていることなどまるで分からないつくりです。
かって長煙突だった時代、2本の巨大な煙突が小道の奥の方にそびえていました。
山手線五反田駅からも望めたと記憶しています。
1本は太く、もう1本は細長いバットを逆さにしたようなプロポーションをしていたと思います。
もちろん、金網付です。




敷地裏手の角から、斎場棟の裏側を撮影しました。
ご覧の通りかなりの傾斜になっています。
2本の煙突のうち1本はこの角付近にそびえていました。
周囲は施設開設当初は江戸の郊外の農村でしたが、
もちろん今ではその面影もなく、中小の町工場と住宅とが混在する
都市型の工場地帯を経て、今やマンションやアパートの並ぶ都市型
住宅地へと変貌しつつあります。




もう一枚、裏手の写真を。
坂を下った場所に斎場の裏口があります。
正門を基準とすると地下1階(というか地下中2階?)にあたります。
裏口の正面、小道を挟んで露天の第2駐車場が設けられていますが、
ここの施設、駐車場は不足ぎみです。
火葬棟と斎場棟に囲まれた地上露天はタクシー&ハイヤー待機場、
霊柩車待機場、バス駐車場だけでいっぱいでして、斎場のある地下1階に
一般車用の駐車場が設けられていますが、通夜・葬儀が集中する日などは
到底収容し切れず、誘導員さんたちが四苦八苦しながらピロティーなど方々の
空いているスペースに止めさせています。第2駐車場もさほど広く無く、バスや
葬儀業者のトラックなどを止めればもういっぱいです。




話題はガラッと変わりますが、
桐ヶ谷の門前にはこのような求人案内がいつも貼られています。
(中のロビーで見たような記憶もあります。)
施設も綺麗ですし、結構良い条件だと思えますね。

(電話番号などモザイクしようかと迷いましたが、
まあ隠すような事じゃないし、読める程度に処理しておきます。)




裏口脇には消火栓(連結送水管と、さらに連結散水装置:いわゆるスプリンクラー)の
消防隊用採・送水口が20口ほどズラリと並んでいました。
火葬場で連結散水装置設備があるというのは知る限り珍しいです。
消防法などの求めに応じたのでしょうけれども、
利用者数や、通夜による仮泊も多いという現代の総合斎場ならではでしょうか。
簡易宿泊施設どころか本当にホテル並みです。
地下1階(中小斎場のフロア)のスプリンクラー配管図です。
10番がロビー(エスカレーター付き吹き抜け)でして、左側がお清め室(待合室も兼ねる)、
右側が中小斎場の並ぶエリアです。
右上の赤い小部屋は残灰室、冷蔵保管室などです。




裏口です。裏門から撮影しました。
入ってやや奥、マイクロバスが止まっている手前で右折すると地下1階の駐車場と
斎場のエントランスです。

裏門の右側、建物裏手沿いに業者用通路があり控え室や厨房(パントリー)などの
出入り口に通じています。
裏門の左側、火葬場敷地の隅には木々に囲まれた古めの石碑がありました。
裏門に真向かい路地を挟んで第2駐車場が設けられています。
昭和49年頃は斎場の裏手にも家屋や工場等の建物が立ち並んでいましたが、
その後、まだ長煙突であった時代に買収されて更地に変えられ、
第2駐車場に転用されたらしいです。
(桐ヶ谷斎場に対する反対運動との関連は不明ですが、
バーナー音やばい煙・降灰等の問題もあったのかもしれません。
ちなみに長煙突時代から除塵装置はあった模様です。)




敷地裏の隅に建てられた石碑です。
「栗嶋長太郎」なるお方の功績を讃える為の碑だそうですが、
残念ながらどのようなお方で、どんな功績があったのかは不明です。




火葬棟入り口ロビー(バス停のすぐそば)の壁面に掲げられている建物案内板です。
葬儀や通夜への参列で何度も訪れた施設だというのに、
今までこれをじっくりと見た事は無かったのですが、
良く見てみると実に細かく描かれています。
(火葬炉の配置まで示されています。)
炉前ホールの真上の2階部分が待合室(休憩室)というのは、
旧時代の特別殯館と同じ構造ですね。


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