管理人のコメント
横浜在住時代、八王子に友人がいて当時二輪の免許しか持ってなかった管理人は
よくこの友人と”2ケツ(いわゆる二人乗り)”で16号から栗橋経由で帰省してました。
でも、残念ながらこの施設の存在には当時全く気づかず...ホント悔しいです(泣。
というわけで、今となっては空撮でしか当時の状況が窺い知れませんが、パッと見た
感じでは結構”それなり”の施設だったみたいですね。 う〜ん...残念。
以下、渓流ファン様のレポート
*画像をクリックすると拡大画像が別ウィンドウで開きます。
埼玉県の北、利根川ぞいの栗橋町はJR東北線と東武鉄道のジャンクションであり、
昔から交通の要衝でした。義経伝説のヒロイン静御前の墓所もあります。
昭和26年(1951年)5月、栗橋町と近隣の6つの村(現在の大利根町他と思われる)が、
伝染病対策と火葬場事業の拡充の為に「隔離病舎・火葬場組合」を設立しました。
火葬場は当時の栗橋市街地のはずれに設けられたらしいですが、時の流れと町の発展に伴い、
施設のすぐそばを立派な道路が走るようになり、市街地も拡がり、ついには新興住宅地の中に
「迷惑施設」として取り残されるというお決まりのパターンをたどりました。
施設自体の老朽化と狭隘化も甚だしく、需要増加もあってついに羽生同様、広域斎場
「メモリアル・トネ」に統合され、廃止とあいなりました。
かって施設敷地の脇を流れていた用水路(今はドブ川)の橋上から臨んだ跡地の様子です。
年代と共に敷地がやや拡張された模様ですが、最終状態ではかなり奥行きのある屈曲した
長靴型の敷地でした。かっての霊きゅう車庫と思われる建物だけが転用されて残されています。
車庫の様子です。
現在は町のゴミ収集関連の施設として利用されているらしく、
傍らには火葬場時代からと思われる水道栓も残っています。
往時はこの背後に待合棟と思われる建物と、さらに奥に火葬棟らしき背後に
煙突そびえる建物がありました。
すぐ隣にまで民家が立ち並び、往時の長閑な田園風景は
もはや過去のものとなりつつあります。
敷地のいちばん奥、火葬棟跡地と推察される部分です。
建物は完全に撤去されましたが、一帯は空き地のままで、
敷地境界はごらんの通り杭とロープでぐるりと囲まれています。
車庫の背後脇には、施設現役時代からのものと思われる「萬霊供養塔」が
残されていました(合掌)。往時を偲べるわずかな名残りでした。
なお補足ですが、栗橋町には、先の栗橋町ほか6ケ村組合が発足するより以前から
火葬場があったらしいです。やはり衛生処理施設として伝染病隔離病舎と火葬場とが
セットで運営されていた模様ですが、その時代の施設がこの場所にあったかどうかは不明です。
例によって国土交通省画像閲覧システムから。
1974年、現役時代。
掲示板でもご指摘ありましたが、稼働中の画像です。
煙突先端をご覧ください。
進入路も狭く、現在と異なり火葬場で行き止まりです。
駐車場もありません。
こちらは1990年。
メモリアル・トネへの統合廃止直前です。
進入路脇に駐車スペースが確保され、霊きゅう車庫も出来ました。
周辺には宅地開発の波が押し寄せてきています。