東京博善社町屋斎場 by渓流ファン様
東京博善社の町屋斎場を紹介します。
東博と言えば、都内最大の民営火葬場運営会社にして、
明治以来の古い歴史を誇る名門ですが、
こちらのサイトではまだ未紹介でしたので取材して参りました。
町屋斎場は東博が現在運営する6ケ所の施設でも最大級で、
江戸時代にまで由来を遡れるという由緒正しい施設です。
京成電鉄高架下の道脇に掲げられた案内板です。
明治通りの荒川区役所付近から分かれて、都電荒川線と並んで町屋斎場敷地正面
(かっての正門)までのびる「サンパール通り」です。
かってはズバリ「博善社通り」と呼ばれていました。
今も霊柩車が良く通ります。
斎場敷地の西端に掲げられた区の説明板です。
古い歴史を誇る由緒ある施設ということが判ります。
最初は「町屋火葬会社」によって用地取得、建設、運営等が行われ、後に日暮里にあった
東博日暮里火葬場が隣接地に移転。やがて統合されたそうです。
敷地規模、炉数、利用区域等から見て現代でも桐ヶ谷を凌ぐ都内最大級の施設です。
★この3枚のみ、通常投稿サイズよりも拡大させて頂きます。
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敷地の西端の植込みには、歴史を物語る石の門柱と迎え地蔵が並べられています。
昔は敷地東の正門内側の脇にあったと思います。
右から「町屋火葬場」の門柱、前身である「日暮里火葬場」の門柱。
「東京博善社」の社名を記した門柱、左の木の影にも社名門柱があります。
前にあるのは古い迎え仏です。どこにあった仏様かは判りませんが、
もしかしたら江戸時代の火葬寺まで遡れるかも知れません。
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木の陰にある社名入り門柱です。
サイズから見てかって町屋の正門にあったものでしょう。
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明治を感じさせる風格です。
東博では他にも砂町(砂村)、亀戸などの門柱を今も保管しているらしいです。
(亀戸の門柱も昔、町屋で見た様な気がします。記録では四ツ木斎場にあるらしいですが。)
現代の銘版です。
時代と施設の雰囲気に合わせてシンプルですね。
施設正面です。
全面更新され、左右(東西)に式場兼待合棟、中央奥(北側)に長大な火葬棟が建てられています。
古くは左(西)よりが一般火葬棟、中央に寺院風のお堂(告別や収骨場だったらしいです。)、
右(東)に特別殯館がありました。
煙突は北西に大昔からの大煙突(一般)、北東隅に特別殯館用の煙突がありました。
特別殯館の煙突は先端のデザインが変わっていたと思います(3つか4つに割れて開いていた)。
もうひとつ正面から。
稼動日で、式場では9件もの葬儀が行われていました。
霊柩車も次々と到着しています。
都内斎場としては広い敷地とはいえ、駐車場は一杯です。
(手前、サンバール通りの左右、京成ガード沿いの空き地も斎場の駐車場になっています。)
何度か葬儀に訪れた経験から言うと、もうちょっと収容台数増やして欲しいです。
「ホテル並みの美観を持つ、仮泊機能付き式場併設火葬場」なんてものが実用化されるとは、
明治の頃には思いもしなかったのかもしれませんが……。
敷地東側の門です。
お客用の出入口は東西に計2ケ所あります。
昔も複数の出入口があったと記憶しています。
あの石の門柱はこちら側の出入り口両脇に建てられていたという話もあります。
写真には映ってませんが、夏休みのラジオ体操の案内が掲げられていました。
場所はもちろん、東博が昔から好意で提供している、斎場前の大駐車場です。
こちらは西側の出入口。
車がぎっしりですごいです。
場内に植えられている樹木は、施設更新時に植樹されたものだと思います。
西側の式場棟です。
中は、ホテルなみにゴージャスです。
「いたれりつくせり」とは、ここみたいな事を言うのでしょうか?
ここと言い、桐ヶ谷と言い、昔の施設を知っている者としては、変貌ぶりに愕然とさせられます。
敷地西端のサービスヤードです。
様々な業者さんが出入りしています。
葬儀屋さん、仕出し屋さん、花屋さん、そして貸し布団まで。
ホテルやスーパーのバックヤードなみです。
例の石柱はここの入口脇にあります。
火葬棟裏側(敷地北側)です。
昔はこの敷地周囲に堀が巡らされていたそうです。
今の炉数は桐ヶ谷と同じく12基程度らしいです。
昔、薪炉だったころはもっと多かったらしく、敷地内には火葬棟が等級別に3つ以上並んでいたそうです。
都内で最初に本格的重油炉を設置し、昼間火葬・即日収骨を始めた施設でもあります。
かって一般炉用の大煙突が聳えていた裏手付近から。
コンクリ・網付きの大煙突でした。
一般棟のバーナーの音がものすごくて、葬儀に行くと京成ガード下あたりまで響いていました。
今は微かな通風音と装置動作音ぐらいしか聞こえません。
火葬棟2階機器室部分のサービス用ドアです。
中には集塵機やブロワーその他が収められていると推測されます。
都市ガスを燃料とする東博の炉は火葬時間が短いだけでなく、新施設では薄煙はおろか
陽炎さえ見えないようです。
目隠しに囲まれた屋根には、炉の排気筒先端部らしきものがいくつか並んでいました。
悪臭も煤煙も、耳障りなバーナーの轟音も、今は遠い昔ですね。
斎場を後にしてかっての「博善社通り」を戻ること200メートルほど。
都電荒川線の荒川7丁目駅です。
古い路線図では「博善社前」という駅名だったと思います。