山武郡市広域斎場 by渓流ファン様


管理人のコメント
 「焼き場水路」ですか...ずいぶんとストレートというべきか、釣りをしたら祟られ
そうな何とも恐ろしい名前ですが(笑)、まあ釣果にはあまり関係ないんでしょうね。

夏は肝試しなどで地元のDQNがたくさん集まりそうですが、施設的には結構きれいな
印象を受けます。ちなみにS49当時の旧施設の空撮画像を載せておきますので、
興味のある方はクリックしてみて下さい。

 
「山武衛生組合火葬場」@昭和49年


以下、渓流ファン様のレポート

もう15年以上も昔の冬のある日、とある釣り雑誌に紹介された鮒釣りの穴場、
その名も「焼き場水路」を尋ねてみました。
冬枯れの田圃と原野の中に伸びる一筋の細い水路、
そして「目印」として紹介されていた火葬場の煙突。
「山武衛生組合火葬場」は、モロに寺院風の小さな施設で、
細い道路に作業室側(背面)を向けて佇んでいました。
炉数は推定で2基ぐらいと思われました。
鈍色の冬空に聳える煤けたコンクリ煙突が無気味でした。

そして現在。
東金市他9市町村で結成した「山武郡市広域斎場」がかっての施設の土地を
拡充して建てられています。
ありし日の面影は今は無く、火葬場も周囲も、あまりにも変わり過ぎていました。
焼き場水路もコンクリで固められ、おびただしい数のザリガニたちの巣となっていました。


かっての施設のあった位置は、今は駐車場となっています。
写真中央奥、バス用駐車場あたりに火葬場があったと思います。

玄関の両脇に火灯窓を備えた淋しい建物でした。
待合室は水路わきにあり、この写真撮影地点のすぐ前あたりだったと思います。
たしかプレハブか、それに等しい粗末なものだったかと。


いまでは道路も整備され、半分未舗装の田舎道から、2車線の立派な道路に
なっています。
田圃か荒れ地だった隣接地には「東金アリーナ」という名前の立派な総合スポーツ
施設が建てられています。

現在の火葬棟裏手から望んだアリーナ体育館、写真右手には観覧席つきの
グラウンドもあります。


火葬棟裏手を焼き場水路わきから撮影。
手前のシャッター付き建物は廃棄物貯蔵所でしょうか?

敷地周囲に道路が巡らされ、ぐるりを歩けます。
現在の敷地は焼き場水路を挟んでおり、駐車場、建物、そして水路よりも
南側の庭園からなっております。


火葬棟の裏側です。
炉数は5基、将来6基。前室付き台車式。
燃料はプロパンガスの模様です。

ちなみに浦和斎場、利根広域斎場(メモリアル・トネ:音無様のサイト
『火葬場』をご参照ください。)と同じ設計事務所(設計者)の作品です。


燃料のガスボンベ貯蔵所と、サービス用の大型ドアです。
図面を見ると、このドアが空いていれば火葬炉の裏側が見えそうです。
(この火葬場は『葬斎場・納骨堂』 建築設計資料46号 建築資料研究社刊行に
収録されています。)


火葬棟に隣接して霊柩車の車庫がありました。
車庫の表側はエントランスと告別ホールになっています。


東金アリーナの前庭から見た施設建物です。
建物の屋根には、9つの明かり取りが設けられています。
設計者によれば、「九天:9つある天界」を象徴したものだとか。組合参加自治体数が
9であることにもちなんだそうです。
ちなみに浦和の後、メモリアル・トネの前の作品です。

しかし、本当に変われば変わるものです。
季節の違い(夏と冬)以上に、かっての陰惨さは払拭されてしまい、まぶしい陽光が
似合っています。
東金市自体も発展して、駅から20分も歩けばもう農村という往時の面影はなく、
焼き場水路沿いに立派な団地や新興住宅地が並んでいました。


入口の門標です。
「衛生組合」というかっての呼称も変えられました。
「火葬場」という呼称も排されています。

冬の曇り空の元で、昔の施設と掲げられた施設名を見た最初の印象は、とにかく無気味で、
そして物悲しいものでした。
煤けた煙突、古びたお堂のような建物、おまけに裏側が道路に面している。
何よりも「衛生」という用語が、なんかゴミか不浄なものを処理してるみたいで・・・。
鮒も釣れず(用水路の水が落とされていた!)そそくさと別の釣り場へと向かったのを
思い出します(笑)


火葬棟の正面です。
『葬斎場・納骨堂』に掲載されている炉前ホールは、かってのバブル時代に
一世を風靡した「コンクリート打ちっぱなし」デザインで、火葬炉の扉(エレベーター形)も
そこに埋め込まれています。無機質ですが、非常に静かそうな空間です。

建物内部のゾーン配置は、四角形の底辺から時計回りに「エントランス〜告別室〜炉前
〜待合室(和式4室+洋式予備室1)」となっています。
建物群に囲まれた中庭には「大地に眠る」と題された彫刻が置かれているそうです。


往時の田舎道も、今は地域の幹線です。
アリーナを訪れる車や、九十九里浜へと向かう車が盛んに行き交い、かっての面影は
まるでありません。

昔は真冬の農閑期には車どころか、物好きな釣り人以外は人影もない淋しい道でした。
砂利道の時代、冬枯れの中を煙突目指して葬列が進んだ情景を想像してしまいます。


写真左が斎場敷地、中央奥が民営の式場です。
東金駅からは車なら10分足らず。便利も良いのでしょう。
行き交う人も車も、アリーナ前庭で談笑している人々も、広域斎場のことなど
まるで気にしていません。往時の施設のままなら、どうだったのでしょうか?

様変わりも甚だしい、当方の「火葬場接近遭遇」原体験の場の現在でした。


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