聖典谷塚斎場 by渓流ファン様


管理人のコメント
 まだ関東地区にもこんなのが残っていたんですね!?
びっくりしました...本当に。
管理人は、どうしても往時の東京博善を思い出してしまいます。
一昔前は当たり前だった、このような火葬場のデザインですが
今となってはとても懐かしく、そしてなぜか新鮮に写ってしまいます。
でも、そう遠くない将来にこの施設が確実に無くなってしまう事が
残念でなりません。

後付けの排ガス処理装置、形から推測すると多分”T炉材工業”の物でしょうね。

以下、渓流ファン様のレポート



埼玉県草加市の南部、都県境を流れる毛長川沿いにある民営火葬場「聖典(株)谷塚斎場」です。
ここも火葬場や斎場施設を全面更新中ですが、幸いなことに在来の火葬棟は現在も
稼動しています。火葬棟はある時代を代表するかのようなコテコテの寺院風デザインであり、
今となっては貴重な建築物です。
なお、コンクリ煙突の先に鉄管を継いでいます(先端が劣化、老朽化したため?)。
元荒川区民様によれば、昔は東博や千葉と同じく網付きの煙突であったそうです
(情報ありがとうございました)。鉄管を継いで高さを増したのだそうです。


火葬場構内への正面入口付近からです。
工事用の金属塀が邪魔ですが、火葬棟をほぼ正面から捉えています。なお、
建物正面は中央の出入口の他には窓も無く、左右に伸びた部分は壁だけでした。
かって火葬場への道であったと思われる細い道が、国道4号線(旧道)から分かれ、
毛長川沿いに火葬場正門まで伸びています。
現在ではこの細い道と50メートルばかりを隔てて並行する県道からも進入路があり、
どうやらこちらが主なようです。
(撮影位置はもとからあった火葬場への道から。写真の左手から合流するのが
県道からの進入路です。)


火葬場近くを流れる毛長川です。
水質汚染度ワーストランキングの常連・綾瀬川の支流です。
この川も非常に汚れていて、やはり汚染度ランキングにもしばしば登場します
(それでもコイの群れが泳いでいたのには驚かされました)。
対岸は足立区で、都内でも古い団地が立ち並んでいます。

谷塚火葬場の設置年代は不明ですが、往時はのどかな田園地帯を流れる清流と、
その岸辺に設けられた火葬場だったのでしょう。


川の土手道から写した火葬棟です。
正面の他、写真で映した側にも出入口がありました。
佛教風に荘厳された古典的な建築です。
鉄管継ぎの煙突が惜しい気もします。

手前では新斎場の建築工事が進められていました。


もう1枚です。
稼動日の為、またゲリラ取材(笑)の為、敷地外からの撮影に留め、これ以上の
接近は諦めています。
霊柩車が止まっていましたが、煙突先端からは煙はおろか陽炎も見えません。


新斎場の敷地です。
どのような施設が建つのかは不明ですが、民営だけに相応に立派な施設となることでしょう。
施設更新中も旧火葬棟や斎場(左手ならび正面奥に写っています)の稼動はやめられないのも、
民営ならではの宿命ですね。
(ここが休止してしまうと、草加市周辺ならび足立区の火葬場事情が一気にひっ迫し、
悪化するという理由もあるでしょう。)


民営斎場ならではの荘厳な装飾の一例です。
屋根の妻面や、お堂部分の頂部には「卍」などの飾りが施されています。


鉄管継ぎの長煙突です。
高さは現在で20メートル余りというところです。
網付きコンクリ煙突時代の高さは不明です。
………が、この煙突、またしても「お役御免」の恐れがあります(後述)。
一部の炉だけでも利用してくれていると良いのですが。


煙突の先端部のアップです。
鉄管のあちこちには錆が浮き、おまけにやや傾いて見えました。
(カメラの傾斜だけではないように思われます。)


火葬棟裏手の隣接地は公園となっていました。
故・田中角栄元総理の揮毫になる農業用地区画再整理の竣工記念碑も建てられていましたが、
「迷惑施設」の緩衝空間として設けられた公園ということが見え見えでした。
公園と火葬場の境の塀越しに映した集塵機等排気処理系統です。
煉瓦製の古い上煙道も見えましたが、煙道上面には草が生えていました。


煙突基部、煙道との合流点です。
手前の排気筒が気になります。…やっぱり、煙突はお役御免でしょうか?


カメラだけ掲げて高い位置から1枚。
排気装置(集塵機、排風機、排気筒など)がほぼ写ってました。
中央奥に煉瓦煙道と合流している排気ダクトも見られます。
もしかしたら、1部の炉はまだ煙突経由で排気しているのかもしれません。

都内や周辺の火葬場では熱交換機や外気混入による希釈等で排気温度を下げ、
排気筒から煙はおろか陽炎すら見せない方式が一般化していますが、全国的にも
新斎場はこの方向に進んでいます。

「煙突から立ち上る煙」どころか、「排気筒からの陽炎」すらアナクロと化しつつあるのが現在です。
「無常の煙」が死語となる日も遠く無い?


引き上げ中に信号待ちの車内から映した火葬棟側面です。
ここまで寺院風(それもモダンな寺院ですね)の火葬場とは知りませんでした。
工事により旧待合棟などが撤去されたため、建物が良く見えます。(手前更地にも
建物がありましたが、目下、火葬場の臨時駐車場として利用されています。)

新斎場竣工に伴いほどなく消え去るのでしょうが……。


おまけ「その1」です。
「火葬場」に日暮里火葬場跡地の「輿楽地蔵尊」が載せられていましたが、その現在の姿です。
隣接地にはビルが新築され、著書にあったようなお堂風の建物ではなくなり、安置されていた
という「元火葬場諸精霊」銘の供養の位牌もありません。いずれは地蔵の由来を知る人も居なく
なるのでしょう。
江戸時代以来の千住小塚原火葬場が移転したここは、東京博善社によって運営され、明治の
一時期には都内最大の火葬場であったそうです。
その後、多少の曲折を経て町屋に別会社により新設された火葬場の隣接地へと移転し、やがて
統合されて東博経営の町屋火葬場となりました。
「日暮里火葬場」銘の石の門柱だけは東博によって保存されているそうです。


え〜、なんともミーハーなお話でお恥ずかしいですが(笑)
「デジカメで火葬場ばかり映していてどーする!」という問題意識のもと、
越谷と吉川の境を流れる中川までやってまいりました。
そう、今をときめく「タマちゃん」の引っ越し先です(笑)
実は釣りで勝手知ったる土地でして、こんな川でも鮒や巨大なコイなどが居ます。
ずいぶんと粘りましたが、結局ムダ足でした。
でも人出はさすがにすごかったですし、それなりに楽しめました。
写真右下のレジャーボートの船尾張り出し部分が、TV等ですっかり
有名になったタマちゃんの休憩場所ですね。

そして左の方には…………………………
越谷市斎場の煙突がしっかり写っていました(笑)


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