三田市聖苑 byしきみの花束様


管理人のコメント
 兵庫県は、歴史的に火葬文化が深く根付いており当然古い施設を今なお数多く
現存させている土地柄だと管理人は勝手に思っておりました。
ただ、現実はというと...一度に数千人の犠牲者を出したあの阪神淡路大震災での
惨状を契機に急速に火葬場のインフラ整備=建替え工事が進んだみたいです。
人口12万に対して火葬炉7基というと、個人的にはちと多い気もしますが、あれだけの
大災害を経験すると、この数字は必ずしもオーバースペックではないのでしょう。

 同じ”地震多発地区”の我が茨城県も、現在各自治体の火葬場は連日フル稼働の
状況にあり、今後インフラ整備を本気で考えないと、いざ地震災害が襲った場合、決して
他人事では済まなくなるような気がします。
                                     ...恐ろしい...

以下、しきみの花束様のレポート

  

 今回、初めて投稿致します。
携帯カメラ&手ブレで大変お見苦しい画像となっていますが、どうかお許しください。

 いきなりですが、火葬棟です。屋根の上の凹んでいる部分に排気筒があります。
直上型再燃炉?を採用しているのでしょうか・・・・・・と申し上げたい所ですが、
実はこの建物は「三田市立図書館」です。
 あまりに「ソレ」っぽかったので、ついイタズラ心で投稿してしまいました。(笑)




  

 冗談はさておき、本題に入ります。
 
 国道176号線の「三輪」という交差点を曲がり、県道37号線を道なりに
どんどん山奥の方へ登って行きます。
 途中から道幅が狭くなり、実質1.5車線になります。




 

  

しばらくすると、火葬場への取り付け道路の分岐点に、この様な門標が現れます。
実はこの門標、以前はここではなく火葬場の門の所にあったらしいのですが、
取り付け道路を「抜け道」と勘違いするドライバーが多いため、こちらに移設されたようです。




  

 分岐点から取り付け道路を見た画像です。
 道路脇には植え込みなどもあって、門標がなければ本当に「抜け道」と間違えそうです。




  

 取り付け道路をどんどん登って行きます。





  

 400mほど登ると、火葬場と墓地の分岐点があり、「右:三田市聖苑(火葬場) 
左:三田市霊苑(墓地)」と書かれた案内板が現れます。
 案内板の右側に、青少年育成あるいは人権関係と思われる標語の看板がありますが、
ここに立てても読む人の数は限られると思うのですが・・・。




  

 左の方に行くと、市営の墓地があります。
 火葬場と墓地は隣接しているのですが、間に高い築堤が設けてあるため、
お互いに敷地内・建造物は見る事ができません。
 画像の奥の方に見える建物は、火葬場ではなく、市関係の建物です。




  

 右の方に行くと、火葬場があります。
 地形と植生の関係で、火葬場の門の手前5mぐらいまで近づかないと、
火葬場の建物の一部分さえ見えません。死角を利用した見事な隠蔽方法だと思います。
 
 火葬場に式場スペースは無く、前室付き台車炉が7基・告別室が2室・収骨室が2室・
炉前ホール・待合室・ロビー・トイレ等のみの施設です。
 
 屋根の上に天窓が左右にありますが、使用開始当初(昭和62年)は炉数は3基・
告別室は1室で、建物自体も左の天窓部分だけで、告別室出入口も、現在は
右端にありますが、当時は真正面にあって、小ぢんまりとした建物でした。
 
 しかし、急激な人口の増加と阪神淡路大震災の影響で、炉がどんどん増設され、
火葬棟(つまり建物自体)と告別室出入口も、どんどん右側に増築・移設されて
現在に至ります。

 ただ、その分駐車スペースがとても狭くなり、10台程度しか駐める事ができません。
もっとも、関西では火葬場で待たない事が多いので、それほど差し支えはなさそうですが。

 それにしても、人口12万人の街に対して炉が7基というのが、適正か供給過剰かは
私には良く分かりませんが・・・。 




  

 新しい門標です。古い門標は前述の場所に移設されています。




  

 門標の向こうに告別室出入口がありますが、
植栽で目隠ししてあり中はほとんど見えません。

 告別室出入口の自動ドアと炉の化粧扉のデザインにつきましては、
こちらをご覧ください。
 ttp://www.d4.dion.ne.jp/~f_cast/SEKOH/sec_artdoor.html




  

 収骨の時は、建物の左側にある出入口から出入りします。

 今回の撮影での最大のミスが、門の左側にある白い注意書きを撮り忘れた事で、
その内容は「火葬場の休業日は、1月1日・1月3日・8月15日で、この3日以外は
年中無休です。(当然「友引」の日も稼動)」といったものです。

 現在の火葬場が稼動するまでは、市街地に煙モクモクの火葬場(実態はサンマイ、
しかし名前は当時から「聖苑」)があったそうですが、住宅が近くまで建て込んで来て、
煙と臭気が近隣の住宅や学校を毎日直撃するようになり、一刻も早い移転が当時の
至上命題だったようです。




  

 火葬棟の裏側に行ってみました。
 屋上に排気筒らしき物がいくつか見えます。
 私としては、「頭隠して尻隠さず」的な、「煤けて焼け焦げた排気筒」が
「ズラリと並んでいる」状態を密かに期待していたのですが、残念?ながら
全くそうではありませんでした。
 
 この画像を撮影中、かすかに「コーッ」という音が聞こえていましたが、
煙も臭気も陽炎も出ていませんでした。

 建物の奥の方の突出部分は「待合室」、手前の方は「職員さん用のスペース」
ではないかと思われます。
 
 ところで、一番手前にある白い物置きのような物ですが、私の中で一瞬ある
予感がよぎりましたが、今回はあえて触れないでおきます・・・。(笑)


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