三田市聖苑 byしきみの花束様
以下、しきみの花束様のレポート

今回、初めて投稿致します。
携帯カメラ&手ブレで大変お見苦しい画像となっていますが、どうかお許しください。
いきなりですが、火葬棟です。屋根の上の凹んでいる部分に排気筒があります。
直上型再燃炉?を採用しているのでしょうか・・・・・・と申し上げたい所ですが、
実はこの建物は「三田市立図書館」です。
あまりに「ソレ」っぽかったので、ついイタズラ心で投稿してしまいました。(笑)

冗談はさておき、本題に入ります。
国道176号線の「三輪」という交差点を曲がり、県道37号線を道なりに
どんどん山奥の方へ登って行きます。
途中から道幅が狭くなり、実質1.5車線になります。

しばらくすると、火葬場への取り付け道路の分岐点に、この様な門標が現れます。
実はこの門標、以前はここではなく火葬場の門の所にあったらしいのですが、
取り付け道路を「抜け道」と勘違いするドライバーが多いため、こちらに移設されたようです。

分岐点から取り付け道路を見た画像です。
道路脇には植え込みなどもあって、門標がなければ本当に「抜け道」と間違えそうです。

取り付け道路をどんどん登って行きます。

400mほど登ると、火葬場と墓地の分岐点があり、「右:三田市聖苑(火葬場)
左:三田市霊苑(墓地)」と書かれた案内板が現れます。
案内板の右側に、青少年育成あるいは人権関係と思われる標語の看板がありますが、
ここに立てても読む人の数は限られると思うのですが・・・。

左の方に行くと、市営の墓地があります。
火葬場と墓地は隣接しているのですが、間に高い築堤が設けてあるため、
お互いに敷地内・建造物は見る事ができません。
画像の奥の方に見える建物は、火葬場ではなく、市関係の建物です。

右の方に行くと、火葬場があります。
地形と植生の関係で、火葬場の門の手前5mぐらいまで近づかないと、
火葬場の建物の一部分さえ見えません。死角を利用した見事な隠蔽方法だと思います。
火葬場に式場スペースは無く、前室付き台車炉が7基・告別室が2室・収骨室が2室・
炉前ホール・待合室・ロビー・トイレ等のみの施設です。
屋根の上に天窓が左右にありますが、使用開始当初(昭和62年)は炉数は3基・
告別室は1室で、建物自体も左の天窓部分だけで、告別室出入口も、現在は
右端にありますが、当時は真正面にあって、小ぢんまりとした建物でした。
しかし、急激な人口の増加と阪神淡路大震災の影響で、炉がどんどん増設され、
火葬棟(つまり建物自体)と告別室出入口も、どんどん右側に増築・移設されて
現在に至ります。
ただ、その分駐車スペースがとても狭くなり、10台程度しか駐める事ができません。
もっとも、関西では火葬場で待たない事が多いので、それほど差し支えはなさそうですが。
それにしても、人口12万人の街に対して炉が7基というのが、適正か供給過剰かは
私には良く分かりませんが・・・。

新しい門標です。古い門標は前述の場所に移設されています。

門標の向こうに告別室出入口がありますが、
植栽で目隠ししてあり中はほとんど見えません。
告別室出入口の自動ドアと炉の化粧扉のデザインにつきましては、
こちらをご覧ください。
ttp://www.d4.dion.ne.jp/~f_cast/SEKOH/sec_artdoor.html

収骨の時は、建物の左側にある出入口から出入りします。
今回の撮影での最大のミスが、門の左側にある白い注意書きを撮り忘れた事で、
その内容は「火葬場の休業日は、1月1日・1月3日・8月15日で、この3日以外は
年中無休です。(当然「友引」の日も稼動)」といったものです。
現在の火葬場が稼動するまでは、市街地に煙モクモクの火葬場(実態はサンマイ、
しかし名前は当時から「聖苑」)があったそうですが、住宅が近くまで建て込んで来て、
煙と臭気が近隣の住宅や学校を毎日直撃するようになり、一刻も早い移転が当時の
至上命題だったようです。

火葬棟の裏側に行ってみました。
屋上に排気筒らしき物がいくつか見えます。
私としては、「頭隠して尻隠さず」的な、「煤けて焼け焦げた排気筒」が
「ズラリと並んでいる」状態を密かに期待していたのですが、残念?ながら
全くそうではありませんでした。
この画像を撮影中、かすかに「コーッ」という音が聞こえていましたが、
煙も臭気も陽炎も出ていませんでした。
建物の奥の方の突出部分は「待合室」、手前の方は「職員さん用のスペース」
ではないかと思われます。
ところで、一番手前にある白い物置きのような物ですが、私の中で一瞬ある
予感がよぎりましたが、今回はあえて触れないでおきます・・・。(笑)