富士吉田、塩山市火葬場跡地 by渓流ファン様


管理人のコメント
富士吉田の火葬場を初めて見たのは中学の修学旅行の車窓からでした。
木造の古い施設が高速道路脇にあって、ひどく陰気な印象を受けました。
(建物自体は寺院風では無かったような...)
以前ニュースでここの火葬シーンを見ましたが、大捜索で見つかった樹海の
遭難(自殺)者は、皆ここで荼毘に付されていたようです。
塩山の火葬場は稼動中に行ったことはありませんが、昔バイクのツーリング中に
畑から桃を失敬して犬に追いかけられたのが、確か塩山のどこかだったような...
バカな管理人ですね(笑)。

以下、渓流ファン様のレポート



快晴の空をバックに、霊峰・富士を撮影。
ここは富士吉田市内。
地図には火葬場が記されている場所のすぐ近くです。
・・・いやー、気持ちがいい。
積雪30センチを記録したという雪の翌朝。
比較的除雪が行き届き、車の方は支障ありませんでした。


火葬場のあるはずの場所につきました。
何もありません。ご覧のとおりの更地です。
門柱は残っていますが、看板の掲げられた痕跡すらないです。
・・・・遅すぎました。


共同墓地のトイレ兼駐車場。
それが元火葬場跡地の現在の姿です。
往時を偲ばせるものは、敷地奥にある新旧2つの供養塔と、
そしてほぼ中央にある元ロータリーらしき植え込みだけ。


供養塔のアップです。
かってここにどんな施設があったのでしょう?
掲示板情報によれば、典型的な煙突付き寺院風だったらしいですが。
現在、富士吉田市は、河口湖町などと共に富士山麓に新設された「富士五湖聖苑」を
利用している模様です。


甲府盆地北東部の地方都市塩山の遠望です。
中央の独立した小山が、市名の由来となった「塩山:しおのやま」です。
古に岩塩を産出したという言い伝えからの山名だそうですが、その真偽は不明です。
今は無き塩山市営火葬場はこの小山の裏手にありました。
撮影場所はブドウで有名な勝沼町の丘からです。
現在、塩山、勝沼他は近隣市町村との合併準備を進めている模様で、
火葬場は一足先に「東山聖苑」として元は山梨市の火葬場の敷地を拡充して新設されました。
新火葬場開設と同時に、塩山市火葬場は廃止され、ほどなく解体されました。


元塩山市火葬場敷地前から望む大菩薩峠と、
そして右手は塩山市クリーンセンターです。
ここもまた、迷惑施設が1ケ所に集められた典型でして、
市の記録を漁ってみると、最初に火葬場がすったもんだの末、
小山の裏側になんとか敷地を確保して作られ、
その後ゴミ処理場他が次々と隣接地に作られた模様です。
風景はすごく良いです。



火葬場跡地です。
市史によれば、200坪の敷地を苦労して確保したようです。
実際、それぐらいの広さでした。
当時(昭和初期)は市街地の完全な外、しかも山の裏手というのに。
火葬場立地の難しさは大昔から変わらないようですね。
しかし、きれいさっぱりですな。手前側のアスファルト舗装だけが、昔のままです。
(建物の前庭部分)


2基の火葬炉とコンクリ煙突、煉瓦製の煙道などがあったあたりです。
(煙道は昨年、解体中に目撃しました。)
すっかり整地され、解体時に煙突基部も地下煙道も掘り起こされ、
いまでは砂利を撒かれて更地状態。目下、クリーンセンター附属施設の
一部として利用されています。


現在、敷地のお隣は普通の民家です。
かっては町外れだった山の裏側(北側)までも宅地開発が行われた結果です。

この火葬場の在りし日の姿ですが、
「トタン葺きのカマボコ屋根、トタンの壁で、前面シャッター付きの車庫」の背後に
コンクリ煙突をつけたものをご想像ください。
シャッター収納部には「塩山市営火葬場」と横書き大書され、
シャッターを巻き上げれば炉前ホールが完全にむき出しでした。
壁に埋め込まれた2基の火葬炉の扉も丸見えです。
土地に奥行きがないためこういう構造になったのでしょう。
炉前ホールも奥行き不足だったようで、
一度、遺族が前の道路際まで溢れ出してお別れをしている場面に出くわしました。
駐車場所もなく、遺族は前の道路の空いた場所に三々五々止めてました。


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