管理人のコメント
8月に行った「静岡西部、愛知東部ツアー」で管理人が心残りだった事があります。
それは、時間の都合で名古屋近辺まで足を伸ばせなかった事です。
学生時代にバイクのレースに参戦していて、鈴鹿サーキットに行く途中に飛島村辺りに
結構古い火葬場が点在していたのを知っていたので、このような施設が残っている事は
ある程度予想していましたが、 この投稿を拝見する限り名古屋近辺もまだまだ”宝の山”
みたいですね。
以下、元練馬区民様のレポート
初めて発言させていただきます。
名古屋の火葬場というと,あの日本一の八事霊園斎場がすぐ出てきますが,
近郊の市や町にもかなり古参の火葬場があります。
何回かに分けて投稿いたします。
画像をクリックすると拡大画像が別ウインドウで開きます。
新川町営斎場
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まずは,名古屋市西区から見て庄内川の対岸,新川町の火葬場です。
「土器野新田」という,なんだかすぐにでも骨壷が出てきそうな地名にあります。
実際は,名鉄名古屋本線新川橋駅や,旧岐阜街道の商店街にもほど近い,
住宅地の一角の墓地にあります。 (この界隈に,煙突は2本ありますが,
もう1つは銭湯のものです。)1952(昭27)年の建設だそうです。
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正面入口近くから
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火葬棟の少し離れに小さな待合室があります。
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ついでに,別の角度からの,縦長版も送ります。
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おまけに,煙突の根元,後付のバーナー,おそらく2次焼却用の
付いている部分も送ります。
知立市逢妻浄苑
今度は名古屋市から国道1号で東に進むとある,知立市の火葬場です。
知立市の北西端,刈谷市や豊田市が入り組んでいるあたりにありますが,
刈谷・豊田両市にはもっと新しい火葬場があり,近いからということでの
市外利用はほとんどないと思われます。ここも1952(昭27)年の建設だ
そうですが,設備が建設当時から大幅に更新されているようです。
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まずは門から。
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火葬棟に少し近づきます。
高い煙突でなく,屋根上に排気口があります。
津島市斎場
またまた名古屋近郊,名古屋市西側の津島市の火葬場です。
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ここも1954(昭29)年建設の年代ものです。
甚目寺町の火葬場
たてっ続けに第4弾,(1)の新川町の西隣,甚目寺町の地図によると,
両町境をなす五条川に沿って「火葬場」の表記があるので訪ねてみると,
写真のようなスレート小屋に煙突があるものでした。
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しかし,紛れもなく火葬場です。 設置・管理母体,建設時期とも不明ですが,
墓地の墓標には明治時代のものもあり,歴史は相当古いと考えられます。
佐屋町営火葬場
(3)の,津島市斎場も佐屋町との境界線に近いところにありますが,
そこから2km程度しか離れていない,またまた両町境界線近くに
今度は佐屋町営火葬場があります。
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1987(昭62)年建設という記録ですが,もっと古く見えます。
田園地帯で,道が少なく,また西側には住宅地もあることから施設を
フェンスで隠しているような形になっていて,良い角度で撮影できません
でした。(ただでさえどの写真もうまく撮れていない上に)
なお東隣はもう津島市になり,バッティングセンターがあります。
(写真ではネットが張ってある部分)
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ところが,佐屋町の地図では,ここでなくて,佐屋高校南西の「東条」という
ところに「火葬場」の記載があったので訪ねてみると,小さな墓地があり,
木造・トタン屋根のあばら屋風の建物がありますが,煙突やその撤去跡などは
なく,ひょっとしたら歴史的に簡易施設として使用した経緯があるのかもしれません。
蟹江町舟入斎苑・本町斎苑
「近郊」といいつつ,実は名古屋市の西隣,蟹江町の火葬場でありながら,
名古屋市港区南陽町西福田にある,「舟入斎苑」を紹介します。
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すぐ北は中川区にも接しており,国道1号,福田川の橋の西側のすぐ南に
位置します。1988(昭63)年の建設で近代的ですが,墓地の墓標には
やはり明治時代のものもあり,かなりの歴史と考えられます。
さすがに立地が立地なので,名古屋市立西福田小学校区に在住の方は,
八事霊園斎場と同一条件で利用できるそうです。
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こんな近代的な,「舟入斎苑」があるにもかかわらず,蟹江町中心部のすぐ東,
またまた名古屋市に接する福田川西側に,昔からの火葬場,「本町斎苑」
(こちらの所在地は蟹江町本町)があります。 東側は川,他の3方がほぼ
隣接する工場の敷地に囲まれています。
建設時期は不明ながら,相当古そうです。 なぜ比較的小規模な町の,
2km程度の範囲に2つも火葬場があるのか理解に苦しみます。
名古屋市民が利用すれば料金は大幅に割高のはずですが。
「茶屋新田火葬場」って?
名古屋市港区西福田に,蟹江町舟入斎苑があると書きましたが,
地図で同区東茶屋2〜3丁目あたりに「茶屋新田火葬場」の表記が
ありますので訪ねてみました。
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そうしたら,「茶屋新田墓苑」であり,火葬場ではありませんでした。
石碑刻印によると,江戸(寛文)時代に墓地として使用され始めたようです。
しかし,犬の散歩をしていた方に尋ねると,次のようなことをお聞きしました。
・ かつて,この墓苑の敷地に,火葬炉・煙突があった
・ 台風による施設の破損と,係員の死去に伴い,完全に解体されたという
ことでした。写真の水汲み場あたりにでもあったのでしょうか?
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しかし・・・
ここから100m南の場所に,火葬場は復活すると名古屋市は発表しました。
現在,200万都市・名古屋市では八事霊園斎場1箇所で大部分を扱っていますが,
八事は46の火葬炉を擁しながら,告別・収骨室が別途設置されておらず,さらに
悪いことに台車冷却装置もないため,錯綜を避けるとなると,その炉数に見合った
処理が行えないのが実状とのことです。 そこで,茶屋新田に炉数30程度の
火葬場という形で復活させるということです。 先述のとおり,茶屋新田は江戸時代
からの歴史があり,建設地としてはよく考えられていると思います。 八事霊園斎場が
建設されたのは1915(大4)年ですので,はるかに歴史はあります。 写真の高台が
その用地で,広大な敷地が確保されています。