東濃の火葬場 by元練馬区民様、yoshi様
管理人のコメント
当サイトの常連同士による初の合同取材です。
それぞれに興味深いレポートを寄稿頂きましたが、広範囲に渡る
お二人での行動は結構疲れたのではないでしょうか??
レポート頂いた文章にも個性が表われていてオモシロイですね。
個人的には「蛭川」の施設をもっと見たかったように思います。
本当にお疲れ様でした。
元練馬区民様、yoshi様からのコメント...
前回,多治見市を取材いたしましたが,それの続編といたしまして,
東隣の土岐市以東の施設を紹介いたします。
yoshiは携帯電話のカメラで,元練馬区民はおもちゃデジカメでの撮影で,
それぞれいいとこ取りでまいります。
元練馬区民様の画像はクリックすると拡大画像が別ウインドウで開きます。
斎苑美しが峰
まずは,JR土岐市駅から南に道なりに進み,丘の上に登るとある,
斎苑美しが峰です。 最新式の総合斎場となっています。
以下、元練馬区民様のレポート
左(奥)が火葬場,中間が待合室,右(手前)が式場です。
全景です。 大幅にぼけていますがご容赦ください。
土岐市のあと,東隣の瑞浪市斎場に行きました。
ここはR19南の中学校の近くにあります。 取材時,告別式のまっ最中で接近できず,
さらに悪いことに全景を遠巻きに撮影してみたものの,逆光の影響で失敗に終わりましたため,
画像投稿は見合わせます。
恵那市火葬場
たびたび掲示板で話題になっておりました,恵那市火葬場,
中央自動車道恵那IC東500mのところにあるものです。
ここも稼動中でしたが,なんとか全体像が撮影できました。
1973(昭48)年完成ということですが,もっと古い時期の
建設を想像しておりました。 でも,煙も出ず,騒音も意外と少なく,
それならばそんなもんかと納得した次第です。
現在,恵那市では,同市南部の阿木川ダム近くに新しい斎場の建設を計画しています。
やはり,現代の火葬場に求められる規模に,現施設では遠く及ばないということでしょう。
以下、元練馬区民様のレポート
正面から
入口右側に「恵那市火葬場」のプレートが付いています。
煙突も入れて
右側は待合室です。 撮影した後方に管理人住居らしき建物がありますが,
雑然としていたことから,住み込んではいないと考えられます。
煙突根元です。
煙道は地上を這っていますが,煤煙は室内で処理されているわけです。
蛭川村火葬場
恵那市の北隣,に行きます。
ついに見ました。 木造,コンクリート煙突です。
墓地や三界萬霊塔を見つけ,この付近だと確信いたしました。
煙突が見えたので,墓地の間の非常に狭い道をはいっていきました。
そこにありました。 これだけのものがまだ存在していることに,非常に驚きました。
以下、yoshi様のレポート
![]()
これが進入口です。
![]()
いよいよ炉棟です。
ここまで立派な木造モノには出会ったことがありませんでした。
煙突ありですが再燃炉つきです。
裏にはドラム缶が置いてあり、その中に燃料が入っていました。
オレンジ色の液体だったので多分A重油かと思われます。
以下、元練馬区民様のレポート
正面から
煙突根元です。
地下の煙道でここまで来て,写真の煉瓦の部分で地上に出て,
写真では暗くて見にくい部分にある2次焼却バーナーで処理して
排気しています。
付知町火葬場
蛭川村から北に約15kmのところにある,付知町の火葬場です。
比較的新しい施設の割には,煙突が鉄製で,かなり激しく煙を噴出しておりました。
火葬が始まるときに重なってしまい,気まずい思いをしました。
以下、元練馬区民様のレポート
会葬者が炉前に集まっていますので,手前の墓地から植木越しに撮影しました。
火葬開始直後とはいえ,この煙はお粗末という印象でした。
以下、yoshi様のレポート
![]()
この付知火葬場は1968(昭43)年建造で、多治見と同じ時期のはずなのですが、
この鉄煙突はちょっといただけませんでした。
本当に「粗末」の王道を行くような施設です。
火葬開始で点火すぐのところを下の墓地から撮りました。
煙が出まくりです。
![]()
ちょっと会葬者が多く、容易に近づくことができませんでした。
進入口からちょっと入ったところです
![]()
やっとまともに写真が撮れるようになりました。
これが炉棟です。炉は一機しかありません。
煙突は黒煙を吐いております。
![]()
付知町史より。
これが完成当時の付知町火葬場です。
今の施設より立派に見えるのは気のせいでしょうか・・・。
加子母霊苑
付知町の北隣,加子母村の火葬場です。 R257を北進していると,
「見つけてくれ」と言わんばかりに,煙突がそびえているのが見えました。
その近くに,かなり立派な寺院の本堂も見えたので,それを目ざして走っていきました。
火葬場はその寺院の裏手にありました。 もちろん,はじめに見えた煙突は
予想どおりその火葬場のものでした。
以下、元練馬区民様のレポート
この立派な本堂と煙突は,加子母市街地にはいるころから見えました。
全景です。 1966(昭41)年の建設ですが,おそらくその時から村営となったのであり,
以前は寺院のものとして存在した可能性があります。 というのも,寺院敷地からこの
火葬場に通ずる古い階段がありますので。
火葬棟と納骨堂です。 火葬棟は鉄サッシのドア,納骨堂の扉には卍の字が書かれています。
日光の反射が強く,見にくいですがご容赦願います。
以下、yoshi様のレポート
![]()
さて、隣の加子母です。
ここは昭和41年に建設されたようです。
火葬場の目の前に曹洞宗の寺院がありますので、昔は寺の付属施設ではなかったかと思われます。
門柱です。ツタを取り払って撮影しました。
![]()
炉棟です。
割と綺麗で、裏に再燃炉用の小屋がついていました。
ついさっきまで火葬を行っていたらしく、かすかに臭いがしました。
坂下町火葬場
R19付近に戻ってまいりました。
JR中央本線,坂下駅は旧来の中山道とは少し離れた,木曽川沿いにありますが,
その北側の丘の上に坂下町火葬場があります。
ここも低いコンクリート煙突があります。
以下、元練馬区民様のレポート
正面から
煙突根元です。 鉄の煙道が空中に設置され,コンクリートの煙道が地上に設置されていますが,
地上は窓からの点検専用のようです。
煙突先端はほとんど黒くなく,煤煙は確実に処理されているようです。
以下、yoshi様のレポート
![]()
下の駐車場入り口から撮った写真です。
ここはもともと地区所有だったものが町営へ移行したものと思われます。
向かって左が斎場、右が火葬棟です。
壁を叩いてみてわかったのですが、どうもここはもともと木造の建物にコンクリートを塗って
強化をしているようです。
中津川斎場
これも掲示板で触れました。 恵那市の東10km,中央自動車道より
少し山にはいったところにあります。
ここは敷地に余地がほとんどなく,敷地内を歩いての取材にかなり無理があり,
支障のない範囲での撮影となりましたが,ご了承願います。
以下、元練馬区民様のレポート
門の位置からです。 手前が待合室,奥が火葬棟です。 1975(昭50)年の完成です。
霊柩車は両棟間に通ずる道を進入しますが,駐車場はいちばん手前に数台分のみあります。
以下、yoshi様のレポート
![]()
中津川斎場です。
案内看板には斎場とありましたが門柱の文字は「中津川市火葬場」となっていました。
![]()
待合棟の後ろに火葬棟がある関係上、待合棟正面からの撮影です。
敷地ぎりぎりまで建物が建っていますので、あまり駐車スペースがありません。
昔は結構こじんまりとした施設だったんでしょうねぇ・・・。
けいなん斎苑
本ツアーの最後は恵那郡南部の岩村町にある,恵那郡南部衛生施設共同組合の運営する,
けいなん斎苑でした。 1983(昭58)年建設で,「簡易寺院風」です。
R363のすぐ上にありました。
以下、元練馬区民様のレポート
ここも逆光の影響を受けました。
この,少し斜めからの画像はそれでも使いものになると判断し,掲載しました。
以下、yoshi様のレポート
![]()
ここは門柱などという立派なものではなく、大きな看板が入り口の木にくくりつけてありました。
総評
基本的に,東濃地区(岐阜県,旧美濃国東部のこと)には,高煙突が残っているところが多くあります。
ただ,自治体合併の話と合わせて,火葬場をどうするかの論議もあり,状況によっては消滅の可能性も
否定できません。 現状は,建設時期や当時の考え方によってか,なんとも中途半端な印象を受ける部分が
目につきました。 もう高煙突がなくて普通の時期に高煙突付きで建設されていたり,煤煙の処理が
なされていないなど。
それでも,東濃地区は,かなり古くから火葬は行われていたということが,今回の取材でわかりました。
石碑や,墓地の形態・建設時期からして。5006